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降る雨や1973年は遠くなりにけり


by shige_8mile
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「長崎の夜はむらさき」 瀬川瑛子

長崎の夜を歩くとこの歌が自然にでる
69年~70年頃の曲でまだ20歳過ぎの瀬川さんをTVで見たときは「派手な顔した演歌歌手だな」という印象だった(失礼) でもこの歌は彼女の財産でしょう

一昨日に長崎に行きましたが、丁度「長崎ランタンフェスティバル」でしたので雰囲気を味わいました 某サイトで紹介されてたので もう一度長崎シリーズ!

祭りは1月26日(月)から2月9日(月)の15日間開催されるようです
これは長崎在住の華僑の方々が、中国の旧正月(春節)を祝うための行事として始めたもので、もともと「春節祭」として長崎新地中華街で行なわれていました
とにかく人が多い(汗)
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そして長崎といえばやはり夜景
日本3大夜景?といわれるだけあってキレイだ(携帯写真では無理)
3大夜景とは 函館(函館山)、神戸(六甲山) とくれば長崎(稲佐山)です
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稲佐山は333m(東京タワーと同じ)で夜はデートスポット!

せっかく稲佐山まできたので福山雅治さんの家に寄った
彼は長崎市立稲佐小学校を出てる
家は地元の方に確認しましたので間違いありません(笑)
しかし呑み屋のオッちゃんには地元貢献度から 「さだまさし」の方が人気あった
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憧れ描いた夢は ちょっと違うけれど ♪
この場所で 戦うよ~
倒れたって何度でも立ち上がれ
明日のSHOW ♪

「明日の☆SHOW」 福山雅治


キリンの缶コーヒーのCMでTVで流れるからか 最近気に入ってます
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by shige_8mile | 2009-01-30 21:11 | 歌謡曲
そうよ 私は・・私だけの 若い人よ

「若い人のテーマ」 桜田淳子


77年公開された東宝映画「若い人」の挿入歌(かなりマイナーですが)
阿久悠作詞、森田公一作曲だ
私は「・・・若い日の私 今しかない私~」というフレーズが好きだ
まさに当時の桜田淳子さんのことを歌ってるようだ

某サイトで淳子さんファンの方の「若い人」の話があったので、昨日福岡に行ったときに長崎に寄ってみた(博多から特急「かもめ」で2時間)
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ここは熊本・鹿児島と同じく市電が走ってる(なんと¥100均一)
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長崎駅から市電にのって約10分、「大浦海岸通り」から徒歩3分でオランダ坂がある
映画の舞台になったのはオランダ坂にある「活水学院(以前は活水女子短大)」
非常に歴史のある異国情緒のある学校です(夜はライトアップされてる)

この坂の上に「活水学院」がある
近くに「海星高校・中学」もあるようで送迎バスがこの坂を上っていた
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有名は「オランダ坂」は「活水学院」の通学路だ
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学院のポスター・・・映画で撮影された風景が浮かびます
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学院から5分歩くと長崎港だ
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オランダ坂の下に呑み屋が1軒あったので顔だした
50歳前後のご夫婦がやっていて、お客は地元の人ばかりだ
私がスーツ姿で店に入るとビックリしたような顔をしていた
開店から17年ということなので残念ながら映画「若い人」の時代ではない
ご夫婦は地元出身で長崎弁丸出しですが、楽しい時間を過ごさせてもらった
聞くと ここから歩いて15分くらいで「大浦天主堂」「グラバー邸」に行けるらしい
時間あるときにまた来よう

「若い人」は62年に吉永小百合、石原裕次郎、浅丘ルリ子で映画化されてるが、そのときも長崎活水学院が舞台だった しかし 戦後の「青い山脈」で有名な石坂洋次郎(青森出身)が「若い人」を書いたのは昭和8年、彼が秋田県横手市で高校教師(当時は中学)をしているときだ
76年当時、淳子さんとの対談で「淳子くんは小百合と似とるな」と石坂洋次郎が言ったのは記憶にある
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by shige_8mile | 2009-01-30 01:32 | 淳子さん

たもとの露は春の雨 ♪

こぼれりや つそも花がたに
お馬の背なで 鈴聞いて♪
今宵 どなたの 鵜戸参り

「鵜戸まいり」 ジャンク


1975年といえば淳子さん「17の夏」を歌ってた絶頂期!
淳子のさんの曲が気になって毎夜ラジオ聞いていた
(ヤンリクの投票1位だった)
FMから流れたこの歌に耳を奪われた
カセットには今でもこの歌が残ってる(しかし当時のCR(クロムテープ)も劣化が激しい)

ジャンクとはどのようなグループか今も知らない
高音の響きのよい印象的な歌という記憶がある
最近、You tubeに偶然あって思い出した
中国では「無奈」というタイトルで歌われてるんでしょうか
テレサテンも歌ってたとは・・・
彼女が歌うと不思議だ、蘇州夜曲に聞こえてしまう
http://jp.youtube.com/watch?v=JgxWJweoEYI
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by shige_8mile | 2009-01-25 23:26 | 歌謡曲
今日は久しぶりに熊本に来た
天気はいいが、外は寒い・・・

熊本駅からバスで20分くらい「黒髪」という地名の熊本大学に到着
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構内に「第五高等中学記念館」がある
ここは国の重要文化財に指定されており、無料
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中央大学で殺人事件があったりで入校に厳しくする学校もあるが、やはり自由はいい、構内を歩くとなんか大学教授になったような感じで悪くない(笑)

明治19年当時の文部省は中学校令で日本を5区にわけた
五高は熊本だが、一高(東京)、二高(仙台)、三高(京都)、四高(金沢)だそうだ

第2次大戦で敗戦後、戦前の教育制度は大きく変えられ、私も戦後教育を受けてきた、戦後教育も勿論いいものはあるが、戦前の高等教育の良さに対する関心はいつもぬぐい切れなかった

この第五高等中学は明治20年開校、昭和25年に廃校(統合)になった
明治20年といえば西郷隆盛の西南戦争からまだ10年しかたっていない頃だ

明治24年、3代目校長は講道館の嘉納治五郎、その年にラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が英語教師として松江から赴任している。 4年後、八雲の後任の英語教師には夏目漱石というそうそうたる顔ぶれ

明治35年の数学の入学試験・・・内容は今では高校初級レベルのようだが、なんと全て英語、この時代全て入試問題は英語で書かれていた
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全寮制で化学実験、物理実験は独立した棟があり、戦前の中学教育は質的に素晴らしいものと思う、建物は洋式でモダンだ
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寮生たちは暖房などないので火鉢を使って勉強していたそうだ
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当時の教室が復元されている
椅子が小さい・・・明治時代の学生は皆、小柄だったようだ
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小泉八雲は日本で14年間生きたが、そのうち12年間は松江、熊本、東京と教鞭をとっている

彼は著書の中で
The tie between teacher and pupil was in force second only to the tie between parent and child.
(師弟の絆は力の点で親子の絆に次ぐものだ)


「日本人の教師と学生の関係は、犠牲と義務の伝統的な関係で、教師は弟子のためなら全てを犠牲にする覚悟をしている」と評している
この道徳的倫理的な絆による師弟関係は次第に合理的な効率的に知識を伝授する近代的教育に変わっていくのであろう
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by shige_8mile | 2009-01-24 22:29 | 旅日記
だけども野に咲く花が好き
帽子に一杯 摘みゆけば~♪
なぜか涙が 涙が出るの

「戦争は知らない」


68年頃のフォークソング・・・というにはあまりに重い歌
某ブログで紹介されていたので思い出してしまった
そのブログ主は歌詞をみてると涙が止まらない・・・とありましたが、同感です
私はとても歌えない、特に3、4番の歌詞は平然と歌えない
自然と涙が出てしまうからです

作詞は寺山修二さんですが、誰が歌ってたか記憶はない
昔、音楽の先生が、自分でガリ版(古いっ)刷って皆に配り、クラスで合唱した記憶ある

今でも某国がテロとの戦いという大義名分で多くの尊い命を平気で奪っている
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by shige_8mile | 2009-01-20 00:02 | 歌謡曲
バイオリン教室の先生はろくに聞きもしないで
いつもおっしゃるのです
「今日は大変お上手ですね~」
・・・・・・・
だけど僕の大好きなのは長島みたいな選手
仁義に生きる健さんだもんね ♪
バイオリニストにだけはなりたくない~
・・・・・・
「バイオリンのおけいこ」 佐藤公彦


昨日TVを観ていたら ビックリ!
あの佐藤公彦が出ていて「通りやんせ」を歌っていた
30年~35年ぶりだった
面影は十分残っていたが、ベビーフェイスにロングヘアー、Gパンという感じではなかった
70年代、ほかのフォークシンガーとは違った意味で天才肌だったが、そのルックスからフォーク界のアイドルだった
TVには出なかったが、繊細で女性的な感じは人気を博してた 愛称は「ケメ」

私はこの歌の歌詞が面白くて いまでも口で歌える
平凡の記事で彼が「少林寺拳法」の初段だったという記事があり、彼なんぞに負けてはいかんとばかりに私も始めたのは懐かしい思い出なり
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by shige_8mile | 2009-01-18 23:12 | 歌謡曲

東京横断

土曜日は 上野 ⇔ 中野を自転車で横断した
新宿通りの四ツ谷4丁目交差点「サンミュージック」にくると
ユッコと淳子を思い出す
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そういや「トリオの卒業コンサート?」をスカパーで放映するらしい
残念だけど観れないなあ CS入ってないし
今は広報は昌子・百恵のホリプロが主体だろうね 淳子はサンミュとも芸能界とも線が離れてる
しかし画面に出るのはいいことだ

そういってると西新宿のビル街を突き抜けて中野に到着
左の建物がサンプラザ・右がサンモール
神保町、新宿をつっきるのに時間かかり、片道1時間かかった
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by shige_8mile | 2009-01-18 02:52 | 淳子さん
歌舞伎座を抜け 並木をすりぬけ ♪
・・・・・・
街は急に 空へ広がってる~♪
星屑に手の届く ホテルのスイートル~ム

「TOKYO」 井上陽水


いつ頃の歌だったかな?
上京する前に大阪のスナックで歌ったから90~91年頃かな
確かこれもウィスキーのCMソングだったように思う
TVで聞いて気に入って その日にレンタルして覚えて その夜にスナックで歌った
今聴いても すごくいいんだ
最後のフレーズはファルセットで響かせる

昨夜はずっと銀座にいた
寒かったが、何故か気持ちよかった
渋谷は人が多く歩く気がしない、六本木を歩くにはもう若くないしねえ・・
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by shige_8mile | 2009-01-17 01:27 | 歌謡曲
誰にも言えない事は どうすりゃいいの~? 教えて♪
走る街を見下ろして のんびり雲が泳いでく
だから歩いて帰ろう 今日は歩いて帰ろう♪

「歩いて帰ろう」 斉藤和義


90年代に好きになった貴重な歌
確か 真田広之が「禅禅!」と言ってたウィスキーのCMに使われてたので気にってしまった
結構、カラオケでも歌ったが、いつも途中で危なくなる
でもまた歌いたくなってきた

寄り道なんかしてたら 置いてかれるよ~♪
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by shige_8mile | 2009-01-15 23:46 | 歌謡曲
その先には何があるか知らないけれど
目の前には~ただじっとこっちを見て ♪
うなずいてるおまえがいる
同じ気持ちで明日へ向かおう

「空をみなよ」 シャ乱Q


90年代は私にとって全く失われた、迷走した10年だった
歌も好きなものが少ない
しかしシャ乱Qは70年代歌謡曲の流れを持っていた
カラオケで歌えると思って途中で忘れて撃墜になった歌だ(笑)

上京して初めて彼女ができそうになったときだったのでよく覚えてる
国立音大の人だったが、すぐにドイツに留学しちまった
彼女が日本を離れる時に「絶対忘れないから・・・」といって15年、もう日本に帰ってるだろうが、アラフォーの主婦になってるだろう・・どうでもいいや(涙)
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by shige_8mile | 2009-01-15 00:39 | 歌謡曲