降る雨や1973年は遠くなりにけり


by shige_8mile
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水俣市

地球環境保護として二酸化炭素の削減が1997年の京都議定書以来、マスコミに取り上げられ、企業も削減活動を「環境報告書」として開示している
世の中随分、平和な時代になったんだなと思う

70年代はそんなレベルの話ではない公害問題がまだ未解決だった
昨日、熊本県水俣市に行った
水俣市は鹿児島との県境に近いところにあり、熊本空港から3時間はかかった
「水俣」という名前は60~70年代にかけて「水俣病」でネガティブなイメージを全国の人が持ってしまった不幸がある

「水俣病」とは・・・解明された情報を簡単に言ってしまうと
チッソという化学工場が流した廃液に含まれたメチル水銀に侵された魚を食べた人がかかった病気だ
専門的にいうと酢酸や塩化ビニルの可塑剤(DOP)などを製造するためにカーバイト(アセチレン)を水銀を触媒としてアセトアルデヒドを作る、その副産物としてメチル水銀がでる
いま行政による水俣病として認定を受けてる患者は2265人だが、医療救済を受けてる患者は1万人を超えている
被害を被った方々の多くは立場の弱い漁民であり、水俣市に大きな利益をもたらし、市民の多くが働いていたチッソが相手であったために市民間にも大きな亀裂を生じた悲しい事件だ、(当時は伝染病と疑われたりもしたという)
水俣病が正式に報告されたのが1956年、そして1973年にチッソの加害責任が認められたが、訴訟は今も続いている (1973年は淳子さんのデビューではないか) 水俣駅のすぐ前にはまだこんな看板が
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いまも水俣駅の改札のすぐ前がチッソ水俣工場である
かつてこの駅から5000人もの従業員が乗降したらしい
(つまりチッソのために鹿児島本線の水俣駅は作られたのだ)
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1977年、水銀に汚染された水俣湾を復活させる事業がスタートしたが、1990年、500億近い費用がかかって完了した、近海の水銀汚染土壌を集めて埋立てたのだ(その広さ 東京ドーム13個分、水銀は基準の25PPMを下回った)
その埋立地に「水俣病資料館」ができている
係の方に聞くと「小学校5年の授業で取り上げられてるので修学旅行などでもよく来られます」
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この埋立地は野球場なんかもあり水俣湾もキレイだ
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水俣にいると 全く口から歌がでない、歌う歌がないのだ
「水俣ブルース」でもあれば歌うんだが・・・・
水俣という市改名がイメージを変えるのに一番だが、それが無理なら若い人がどんどん来てくれる企画をもっとすべきと思う(街を歩いてみて高齢者が多いように感じた)
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by shige_8mile | 2009-03-08 00:41 | 旅日記